日本ツイクスト協会の歴史②協会の始まり
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前章で書いた通り、2015年ではエッセンシュピールへ行き、そこでツイクストの実物を数点と、カルカソンヌの世界大会の熱気に触れた。
また、それと並行してツイクストをプレイして戦術的なテクニックを戦いながら深めていった。
■ツイクストの楽しさ
わたしにはボードゲーマーとしていくつかの好みがある。アメリトラッシュ寄りのユーロを好み、十二季節やテラフォのようなユニーク効果のヴァリエーションの多いゲームを好み、エリアマジョリティやマルチは好みでない。
そして、今現在でもそうだが「2人用ゲームが好きでは無い」というのもある。何故好きでは無いのかは長くなるので割愛するが、まず2人用ゲームが好みでないわたしが好きになった、魅力となる部分がある。
ツイクストの魅力の一つとして、戦術的な発見が多くあることだ。ツイクストの繋がるのは形というベースから考える部分は直感的とも言えるだろう。だから、ルール自体はとても簡単ですぐに始められて、少し考えてプレイすると多くの発見がどんどん生まれて、初期のわたしは発見すること自体が楽しくてツイクストをプレイしていた。
再プレイするモチベーションのある対戦相手がいたというのも幸運だった。副会長のねくろんさんはわたしと同程度の強さで、モチベーションも持ち続けていた。さらに、彼は実際のプレイから出たテクニックを理論化してくれるプレイヤーだった事も大きい。
わたし個人として他の2人用ゲームと大きく違うと思うのが、盤上のペグやブリッジが消えていかない点だ。囲碁や将棋は途中で取られたりで消えてゆく。数手先を読む中で、ツイクストは盤上から消えることは無いので、読みやすいとなった。消えていくゲーム性で読まなければいけなかったら「面倒だからこのゲームはやらなくて良いか」という個人的な気分になる。
■何が先かだったのか?
数年前の事なので割と覚えてなくて恐縮だが、どうやって日本ツイクスト協会が出来たかちゃんと覚えていない。
だが、順序だてて考えれば「こうだったろうな」と言える流れは説明できる。
そもそも、いきなり「日本ツイクスト協会を作ろう!」という事にはなってなかったのだと思う。副会長のねくろんさんとツイクストをプレイしていくうちにゲームに対する理解が深まって行った。さらに、先に述べた様に彼は戦術テクニックを理論立てていくことが得意な人だった。
元々、彼はMTGのプロツアーで海外遠征に出たり、近年ではポーカーの大会に出たりと競技的な思考のあるゲームプレイヤーでわたしには無いものを持った人だった。
ツイクストの戦術テクニックが蓄積されていくなかで2人の中で「これは書籍としてまとめられるのではないか」という気分になった。
わたしは元々は趣味で文章系の同人誌を作成していたことがあったため、ツイクストへの深まりが自然と「ツイクストの書籍を作ろう」という気分にさせたのだと思う。
■協会の設立
2016年5月のゲームマーケットで発表したのが書籍「はじめてのツイクスト」だった。この本は今では内容的に足りない部分も多いため、協会では絶版として再販しないものとしている。
簡単に言ってしまえばこの「はじめてのツイクスト」の発行者として、さらにゲームマーケットの参加サークルとしての存在として出来たのが日本ツイクスト協会だったのだと記憶している。
記憶が曖昧だが、書籍を作るに当たり名前をどうしようかという話し合いをしていたのだと思う。当時は副会長のねくろんさんが毎週の金曜日にゲーム会を行っていて、その後に毎回スープカレー屋さんのマジックスパイス名古屋店で食事しながら話し合うという流れが定番となっていた。
つまりは書籍の発行者の名前を決めてから、協会としての活動を始めたというのが実際の流れだったのだと思う。
ただ、書籍の発行を中心として「ツイクスト自体をより大きなものに広めて行きたい」というモチベーションも最初から共通認識としてあり、それが日本ツイクスト協会という名前付けでも表現されているかと思う。
こんな流れもあり、2016年の春のゲームマーケットで書籍「はじめてのツイクスト」を発行するために日本ツイクスト協会が設立されたのだった。
実際には数ヶ月前にゲームマーケットへ参加するために申し込みをし、さらに発行物である書籍の執筆・編集作業をするのでそれ以前から動き出していた。わたしのエッセンシュピールの参加が2015年の10月の事なので、時系列的に言えば数ヶ月ごとに「ツイクストと出会い」「エッセンの熱気にあてられ」「書籍の制作を決めて」「ゲームマーケットで書籍と協会の設立を発表した」という感じだと思う。
■わたしが日本ツイクスト協会の会長です
書籍と協会を作るにあたり決めた事は色々ある。「ツイクスト」という名前の表記などが大きかったりすると思う(この部分については後の章で触れると思う)。
ひとつだけ振り返って語るならば、わたしイズミが会長であるという点かなと思う。
日本ツイクスト協会はある意味では小規模なサークルであり、コアなメンバーはわたしイズミとねくろんさんの2人だけだ。
スープカレーを食べながらだったと思うが、「どっちが会長をやるか?」という話になった。確かねくろんさんから「どうする?」と問いかけられた気がする。
ねくろんさんの意図はわかっていて、わたしが会長になっても良いし、ねくろんさん自身が自分で務めても良いという事だと受け取った。
そこで少し考えた。まずは「面倒くさいな」と思った。会長となったらしっかりと会長として活動しなければいけない。わたしは先述したとおり文章系の同人誌の発行サークルを行っていたのだが、その活動から様々な理由をきっかけに「降りた」状態だった。だから、そこで「降りた」のにまた同じ様な活動をするのか?と逡巡した。
そして自分が会長とならなかったらどうなるだろうか?と考えた。ねくろんさんは素晴らしい人で責任感もある人で会長に相応しい人物だ。しっかりと活動していってくれることは確実だと思う。
しかし、自分が会長にならなかったら、絶対に面倒くさがってやらない事柄が多くなるだろうな、とも思った。実際にこれまでの活動で「これ会長じゃなけれびやってないな」と思う事がたくさんあった。会長ではないねくろんさんがちゃんとやっているのに、自分だったら「会長じゃないから」と逃げる事が自分ながら理解出来ていたため「自分が会長をやります」と答えた。ツイクストを広めて行くために、ちゃんと活動しようという枷を自分につける為に会長になる事を選んだ。
いつも聞かれたりする時には「会長になったのは偉そうにするため、影響力あるっぽいことを演出するため」とか冗談めかして言うけれど、本当のところはそんな感じの考えから会長を務める事となりました。
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こんな感じで日本ツイクスト協会は始まりました。