日本ツイクスト協会の歴史①ツイクストとの出会い

■はじめに

日本ツイクスト協会の歴史(といっても出来て5年」をまとめておかないと忘れていく一方だし、忘れるならまだしも記憶改変していきそうなのでまとめておかねばとこれを書き出している。

 

■インデックス(予定)

ツイクストとの出会い

ツイクスト協会の始まり

ツイクスト協会の活動

ツイクストを再販しよう

GP社のツィクスト

 

■ツイクストを知る

初めてツイクストを知ったのはジョーコデルモンドというサイトでだった。わたしがボードゲームを始めたころ、購入するゲームの参加にしていたサイトで、有名なサイトなので知ってる方も多いと思う。

最初は「面白そうだな」と思ったが、後々調べてみると絶版に近く、購入する機会が訪れなかった。

 

カルカソンヌとツイクスト

2015年のことだったと思う。

わたしとツイクストの出会いは、カルカソンヌの世界チャンピオンともなった望月くんが大きく関係している。

ある日、友人同士のクローズドなゲーム会の中で望月くんがツイクストを持ってきていた。東京か何処かのカルカソンヌの大会で勝ち、ツイクストをもらってきたと言う。

ちょうど途中参加で2人だった事もあり、やってみようかな、となった。そもそも、ボードゲームを初めて数年して2人用ゲームに忌避感を持ちつつあった頃だったのだが、望月くんが「面白い」と太鼓判を押していたのでプレイしてみるきになった。

 

初めてのツイクストはとても面白かった。初心者のツイクストではよくある逆転につぐ逆転だった。さらに、プレイのなかで明らかに発見があって、それが心地よかった。

相手が望月くんだというのも良かった。望月はしっかりと先を読んで考えるプレイヤーだ。将棋で動かした後すぐ駒を取られる場所に移動させるような、何も考えず「これで良いや」と打ってしまう人ではなかった。

望月くんとのプレイの後、「あの時、こうすれば良かったかも」などと考えていたのだと思う。ツイクストのプレイの試行錯誤をしたくなって、すぐに自分のツイクストを手に入れた。

そして、そこで当時からよく一緒にボードゲームをしていた日本ツイクスト協会の副会長となる、ねくろん氏とツイクストをプレイするようになったのだった。

 

■エッセンとカルカソンヌとツイクスト

その年、2015年の10月。

カルカソンヌの世界チャンピオンとなっていた望月くんは招待選手としてエッセンシュピールカルカソンヌ世界大会に招かれていた。

それもあってわたしも望月くんにひっついてエッセンシュピールに行くこととなった。

 

エッセンシュピールで大きかったのが二つあった。ひとつはエッセンのブースなどで中古のツイクストをいくつか購入出来た事だ。

ツイクストとの出会いから数ヶ月は経っていて、それなりにツイクストをプレイしていて戦術的なテクニックも少しずつ発見していた頃で、「ツイクスト会とかたくさんあったら出来るね」と話したりしていた。

ここで買ったツイクストがその後のツイクスト会や日本ツイクスト協会で作成する書籍をつくる後押しとなったと思う。

エッセンシュピールでもう一つ印象深かったのはカルカソンヌの世界大会だ。競技カルカソンヌの緊張感のある世界大会に触れて圧倒された。

そしてじわじわと「ツイクストで同じような競技大会が出来たら」と思ったような気がする。記憶を改変していそうだけれども、そうだったと思う。

 

カルカソンヌとツイクスト

カルカソンヌとツイクストはほとんど似た部分の無いゲームだ。けれども、わたしの中ではこれまで書いてきたような理由で関係づけられている。

そして、関係づけられているからこそ「カルカソンヌの世界大会のようなツイクストの大会を開いてみたい」と思うようになったのだと思う。

 

というわけで日本ツイクスト協会の始まりのきっかけはこんな感じ。